【リカバリーの物語5】リカバリーを知り人生が変わった
中村孝
こんにちは。統合失調症当事者の中村と申します。私は三回入退院を繰り返しました。
退院してから私は「精神障害者なのだからもう一生働けない。貯金が無くなったら生活保護を受けよう。」と思っていました。
それからしばらくして大田区のTさんに出会いました。Tさんも精神障害者なのですが、正社員で旋盤工として立派に働いているのです。
正直いって私はとてもびっくりしました。「精神障害者でも働くことはできるのだ。」「充実した生活を送ることはできるのだ。」と思いました。Tさんは目がとても生き生きして、立派にリカバリーしているのです。
だから私もTさんのように一生懸命働き、リカバリーしようと思いました。
Tさんとの出会いは私の人生を大きく変えました。今の私があるのはTさんのおかげです。Tさんにはとても感謝しています。
ニュース
☆リカバリーキャラバンフェイスブックもあわせてみてくださいね
https://www.facebook.com/recoverycaravanTai
☆福祉新聞でリカバリーキャラバン隊の冊子「精神疾患を持つ方が働くための合理的配慮の会話帳でっかい輪」を取り上げていただきました。
多くの皆様のおかげでいい冊子になりました。心より感謝いたします。
精神障害者が働くために必要な合理的配慮とは
http://www.fukushishimbun.co.jp/topics/10061
☆キャラバン隊がNHKハートネットTVブログの取材を受けています
仕事とともに、このキャラバン隊の活動が大きな生きがいとなっていると紹介されています。
2011年4月7日木曜日
2011年4月6日水曜日
【リカバリーの物語4】リカバリーを知ることは希望の光
【リカバリーの物語4】リカバリーを知ることは希望の光
岡本さやか
例えば五体不満足の乙武さん。
あの方は頭もいいですが、自分の障害や病気を個性ととらえて自分の武器として生きていますよね。でもあそこまでいくためにどれだけの努力をしたことか。
私は自分の障害を個性ととらえ自分の武器としていけばいいという事に気がつくのに、十年以上かかりました。
乙武さんや先日放送された盲目の夫婦でCDデビューをした二人の存在は私の目標です。成功すれば、差別的な目や特別視はしなくなるでしょう。
他の障害者の方にも障害を悲観した生き方はして欲しくない。希望の光となる存在でありたいです。他の障害者の方の目標にされる人になりたいと思っているんです。暗闇の中の一筋の光になりたいから。
岡本さやか
例えば五体不満足の乙武さん。
あの方は頭もいいですが、自分の障害や病気を個性ととらえて自分の武器として生きていますよね。でもあそこまでいくためにどれだけの努力をしたことか。
私は自分の障害を個性ととらえ自分の武器としていけばいいという事に気がつくのに、十年以上かかりました。
乙武さんや先日放送された盲目の夫婦でCDデビューをした二人の存在は私の目標です。成功すれば、差別的な目や特別視はしなくなるでしょう。
他の障害者の方にも障害を悲観した生き方はして欲しくない。希望の光となる存在でありたいです。他の障害者の方の目標にされる人になりたいと思っているんです。暗闇の中の一筋の光になりたいから。
2011年4月5日火曜日
【リカバリーの物語3】皆がリカバリーに期待すること
第1章 リカバリーを知るということ
まずはじめに、この本の趣旨を理解していただくために、精神疾患がある当事者たちの文章を紹介します。みなさん、精神疾患がありながらも、今は充実した生活を過ごしていますが、はじめからそうであったわけではないようです。
疾患や障害がありながらも、幸せに生活している人たちのことを知ったり、そういう人たちに共通するリカバリーというイメージを持つことが、その後の生活に影響する様子がうかがえます。
■皆がリカバリーに期待すること
ペンネーム:サム・ウォーカー・ジュニア
私は精神障害者の当事者です。
精神障害者にとってリカバリーは大変な経験だと思います。極めて個人的な体験で多くの挫折をともないます。
私も支援を受けて翻訳の仕事を続けていますが、ほんのわずかな希望の力が助けてくれます。それがいつか自己実現の喜びにつながります。
希望のない状態から希望のある状態になるのは大変な進歩です。今できること、どんなささいなことでも今できることに一歩でも踏み出すことが大事だと思います。
それでも困惑、無力感に襲われる時があります。私はこういう時じっと耐え、希望のわくのを待ちます。
サービス提供者のサポートもあります。これから精神保健サービスは専門医の理解のもと、この大変なリカバリーという仕事を、精神障害者一人ひとりに適したリカバリーができるようサポートしてほしいと思います。
症状をかかえながら夢をあきらめず、その実現に向かって生きるのは何とすばらしいことではないでしょうか。
専門医は「そんなことは無理だ」というかもしれません。
しかしリカバリーは、単に症状がなくなることではなく個人が社会で有意義に生き生きと生活し、生き生きと毎日を送れ、じわじわと人生に幸福感を持てれば良いと思います。
何か特定の目的を達するためばかりでなく、日頃の人間関係がスムーズにいき、生き苦しい思い、落ち込む時もこの運命を背負った人生を乗り切る。そういう気持ちになることは人間の生きていく上での人間に与えられた大切な本能です。
現在、このリカバリーを体験している人は非常に少ないと思いますが、あきらめないことです。
また、専門医の理解も大切ですが、家族や身近な人が理解するのも大切だと思います。
精神保健サービス分野でもこれはひとつの運動になっていますが、リカバリーは本来、個人の社会的なもので、精神障害者のかかえる様々な問題を社会が受け入れる必要もあると思います。
リカバリーについて、一人でも多くの方が理解してくださることを望みます。
まずはじめに、この本の趣旨を理解していただくために、精神疾患がある当事者たちの文章を紹介します。みなさん、精神疾患がありながらも、今は充実した生活を過ごしていますが、はじめからそうであったわけではないようです。
疾患や障害がありながらも、幸せに生活している人たちのことを知ったり、そういう人たちに共通するリカバリーというイメージを持つことが、その後の生活に影響する様子がうかがえます。
■皆がリカバリーに期待すること
ペンネーム:サム・ウォーカー・ジュニア
私は精神障害者の当事者です。
精神障害者にとってリカバリーは大変な経験だと思います。極めて個人的な体験で多くの挫折をともないます。
私も支援を受けて翻訳の仕事を続けていますが、ほんのわずかな希望の力が助けてくれます。それがいつか自己実現の喜びにつながります。
希望のない状態から希望のある状態になるのは大変な進歩です。今できること、どんなささいなことでも今できることに一歩でも踏み出すことが大事だと思います。
それでも困惑、無力感に襲われる時があります。私はこういう時じっと耐え、希望のわくのを待ちます。
サービス提供者のサポートもあります。これから精神保健サービスは専門医の理解のもと、この大変なリカバリーという仕事を、精神障害者一人ひとりに適したリカバリーができるようサポートしてほしいと思います。
症状をかかえながら夢をあきらめず、その実現に向かって生きるのは何とすばらしいことではないでしょうか。
専門医は「そんなことは無理だ」というかもしれません。
しかしリカバリーは、単に症状がなくなることではなく個人が社会で有意義に生き生きと生活し、生き生きと毎日を送れ、じわじわと人生に幸福感を持てれば良いと思います。
何か特定の目的を達するためばかりでなく、日頃の人間関係がスムーズにいき、生き苦しい思い、落ち込む時もこの運命を背負った人生を乗り切る。そういう気持ちになることは人間の生きていく上での人間に与えられた大切な本能です。
現在、このリカバリーを体験している人は非常に少ないと思いますが、あきらめないことです。
また、専門医の理解も大切ですが、家族や身近な人が理解するのも大切だと思います。
精神保健サービス分野でもこれはひとつの運動になっていますが、リカバリーは本来、個人の社会的なもので、精神障害者のかかえる様々な問題を社会が受け入れる必要もあると思います。
リカバリーについて、一人でも多くの方が理解してくださることを望みます。
2011年4月4日月曜日
【私のリカバリー】仕事力
【私のリカバリー】仕事力
私は32歳から約10年間のブランクを経て最近(もう3年目になりますが)病気の事をオープンにして仕事に着きました。でもそこで待っていたのは、偏見だらけの目でした。皆ことごとく、陰湿な意地悪をしてきていました。でも私は、耐えるしか選択はありませんでした。私は運悪く、障害者年金をもらえませんでしたので、病気と向き合ってきたブランクの10年間は、私にとって親のすねをかじってのどん底の人生だったからです。
どん底人生になると人間関係まで変わってきます。手の平返したように今まで(それまで)仲良かった友人達も去っていきました。お金の力は大きいと思いましたが、心まで疎んでいたのでしょうね。働いて3年目になる今でも心が疎んでいる様な感じがしますが、以前よりは心に余裕・ゆとりがでてきた様に思います。
私はこれからだと思っています。徐々に変化を肌で感じるからです。
意地悪に耐えるだけの人生だったのが、他人に思いやりを持って接してこられるようになって、初めてどん底からぬけでてこられる、そう思えてきたのです。
P.S
豚でも人の役に立ちたい、“ベイブかな”
不自由な障害者 生きるアイデアいっぱい
華子
私は32歳から約10年間のブランクを経て最近(もう3年目になりますが)病気の事をオープンにして仕事に着きました。でもそこで待っていたのは、偏見だらけの目でした。皆ことごとく、陰湿な意地悪をしてきていました。でも私は、耐えるしか選択はありませんでした。私は運悪く、障害者年金をもらえませんでしたので、病気と向き合ってきたブランクの10年間は、私にとって親のすねをかじってのどん底の人生だったからです。
どん底人生になると人間関係まで変わってきます。手の平返したように今まで(それまで)仲良かった友人達も去っていきました。お金の力は大きいと思いましたが、心まで疎んでいたのでしょうね。働いて3年目になる今でも心が疎んでいる様な感じがしますが、以前よりは心に余裕・ゆとりがでてきた様に思います。
私はこれからだと思っています。徐々に変化を肌で感じるからです。
意地悪に耐えるだけの人生だったのが、他人に思いやりを持って接してこられるようになって、初めてどん底からぬけでてこられる、そう思えてきたのです。
P.S
豚でも人の役に立ちたい、“ベイブかな”
不自由な障害者 生きるアイデアいっぱい
華子
2011年4月3日日曜日
【私のリカバリー】茶道を嗜むことは、生きること
【私のリカバリー】茶道を嗜むことは、生きること
私は茶道の免状を持っていますので、今でも時々お抹茶をたしなんでいます。
といっても、お抹茶を茶杓ですくって茶筅をたてるだけなのですが、一日の終わりにお抹茶を味わっています。
ふうっとするひと時で、生きているな~と実感できる時でもあります。
ところで私が嗜んでいるお抹茶の名前なのですが、“青山の白”と“初音”と“若き白”という物があります。教わった話なのですが、“青山の白(あおやまのしろ)”とは“青山(せいざん)”とも読めるもので
“青山(せいざん)”とは生と死を意味するものだそうです。そして“初音”とは、今の事ではないかと思うんです。今、一瞬一瞬が次々と昔に過去になっていく、そういう意味ではないかと思っています。
“若き白”とは私は赤ちゃんのことを指していると思うのです。色がついてないではないですか。
これはあくまで私の推測なのですが、こんな事を一日の終わりに考えながら、お抹茶をいただいているのです。
堀尾雅子
私は茶道の免状を持っていますので、今でも時々お抹茶をたしなんでいます。
といっても、お抹茶を茶杓ですくって茶筅をたてるだけなのですが、一日の終わりにお抹茶を味わっています。
ふうっとするひと時で、生きているな~と実感できる時でもあります。
ところで私が嗜んでいるお抹茶の名前なのですが、“青山の白”と“初音”と“若き白”という物があります。教わった話なのですが、“青山の白(あおやまのしろ)”とは“青山(せいざん)”とも読めるもので
“青山(せいざん)”とは生と死を意味するものだそうです。そして“初音”とは、今の事ではないかと思うんです。今、一瞬一瞬が次々と昔に過去になっていく、そういう意味ではないかと思っています。
“若き白”とは私は赤ちゃんのことを指していると思うのです。色がついてないではないですか。
これはあくまで私の推測なのですが、こんな事を一日の終わりに考えながら、お抹茶をいただいているのです。
堀尾雅子
2011年4月2日土曜日
【私のリカバリー】お金だけではない、健康も天下の回りもの
【私のリカバリー】お金だけではない、健康も天下の回りもの
昔からよくお金は手には入らないものと言われてきましたが、努力が必ずつきものです。
努力なしにはお金は手に入らないと言われています。
私が思うには、健康も然れど努力なしには手に入らないと思っています。
確かに、20代~30代の頃には、健康は疎かになりがちで、やもすると気を遣わなくなってしまいます。
お金だけではない、健康も天下の回りものという言葉は、そんなヤング世代には、当てはまらない言葉ですが、私達40代世代には希望さえ持てる言葉だと思います。
私はヨーガを習っていて、世界的なヨーガで有名なプージャスワミジさんは、次のことを言っています。
「与えることは生きることであり、生きることは学ぶこと、学ぶことは知ること、知ることは成長すること、成長することは与えること、与えることは生きることである。これが人生の真の循環である。」
私も最後の与えることをしなければいけない時期に差し掛かっていると思うこの頃です。
それが本当の意味での生きることだと思われるからです。
堀尾雅子
昔からよくお金は手には入らないものと言われてきましたが、努力が必ずつきものです。
努力なしにはお金は手に入らないと言われています。
私が思うには、健康も然れど努力なしには手に入らないと思っています。
確かに、20代~30代の頃には、健康は疎かになりがちで、やもすると気を遣わなくなってしまいます。
お金だけではない、健康も天下の回りものという言葉は、そんなヤング世代には、当てはまらない言葉ですが、私達40代世代には希望さえ持てる言葉だと思います。
私はヨーガを習っていて、世界的なヨーガで有名なプージャスワミジさんは、次のことを言っています。
「与えることは生きることであり、生きることは学ぶこと、学ぶことは知ること、知ることは成長すること、成長することは与えること、与えることは生きることである。これが人生の真の循環である。」
私も最後の与えることをしなければいけない時期に差し掛かっていると思うこの頃です。
それが本当の意味での生きることだと思われるからです。
堀尾雅子
2011年4月1日金曜日
【私のリカバリー】異様な体験から
異様な体験から
「おい」「なんだ」通りすがりの人の声が聞こえる。幻聴だ。「何だ、こんなの」と思っても耳から離れない。日も暮れかけて建物も長いかげを作っている。「いやだな」と思ってバイパスに入ると古い居酒屋や食事処の建物がこわれたいびつな木材に見える。思わず足元に目を落とすとひびわれたアスファルトが異様に光っている。私はこわくなってかけだしてやっと表通りに出た。人ごみをかきわけてガソリンスタンドの脇にあるベンダーにたどりついた。いきせききって120円をコイン投入口に放り入れていつものエメラルド・マウンテンのボタンを押した。ガチャッと缶が落ちた。やれやれとほっとひといき飲む。
「何だろうこれ」あたりは暗くなってきた。黒いひとの人のむれが私と関係なく動いていく。
信号の赤、青、黄の色がいやに目について、私はパチンコの台を見ているようで目が回った。「やーこーや」とつぜん大きな声がするのであたりを見回す。ただ人が黙々と歩いているだけだ。街は海のようだ。
時間を待って帰りのバスに乗って席につく。100円出そうとするがなかなかサイフからでない。用意するのに5分もかかってしまった。するととなりのおばあさんが「ぜにまみれだ」と聞こえた。「もういやだ」と思ってサイフをポケットにしまった時バスが発車した。バスは闇の中を装甲車のように進んだ。無気味な坂をのぼって焦るように走っていた。「次は3丁目です」私はバスを逃げるように降り、祈るように走って家にたどり着いた。
うらの戸を開けた母が同情をこめて「よく帰ってきたのね」と私を抱きしめてくれた。
私は小さな子のように母のぬくもりに身をゆだねた。
サム ウォーカー ジュニア
「おい」「なんだ」通りすがりの人の声が聞こえる。幻聴だ。「何だ、こんなの」と思っても耳から離れない。日も暮れかけて建物も長いかげを作っている。「いやだな」と思ってバイパスに入ると古い居酒屋や食事処の建物がこわれたいびつな木材に見える。思わず足元に目を落とすとひびわれたアスファルトが異様に光っている。私はこわくなってかけだしてやっと表通りに出た。人ごみをかきわけてガソリンスタンドの脇にあるベンダーにたどりついた。いきせききって120円をコイン投入口に放り入れていつものエメラルド・マウンテンのボタンを押した。ガチャッと缶が落ちた。やれやれとほっとひといき飲む。
「何だろうこれ」あたりは暗くなってきた。黒いひとの人のむれが私と関係なく動いていく。
信号の赤、青、黄の色がいやに目について、私はパチンコの台を見ているようで目が回った。「やーこーや」とつぜん大きな声がするのであたりを見回す。ただ人が黙々と歩いているだけだ。街は海のようだ。
時間を待って帰りのバスに乗って席につく。100円出そうとするがなかなかサイフからでない。用意するのに5分もかかってしまった。するととなりのおばあさんが「ぜにまみれだ」と聞こえた。「もういやだ」と思ってサイフをポケットにしまった時バスが発車した。バスは闇の中を装甲車のように進んだ。無気味な坂をのぼって焦るように走っていた。「次は3丁目です」私はバスを逃げるように降り、祈るように走って家にたどり着いた。
うらの戸を開けた母が同情をこめて「よく帰ってきたのね」と私を抱きしめてくれた。
私は小さな子のように母のぬくもりに身をゆだねた。
サム ウォーカー ジュニア
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