第1章 リカバリーを知るということ
まずはじめに、この本の趣旨を理解していただくために、精神疾患がある当事者たちの文章を紹介します。みなさん、精神疾患がありながらも、今は充実した生活を過ごしていますが、はじめからそうであったわけではないようです。
疾患や障害がありながらも、幸せに生活している人たちのことを知ったり、そういう人たちに共通するリカバリーというイメージを持つことが、その後の生活に影響する様子がうかがえます。
■皆がリカバリーに期待すること
ペンネーム:サム・ウォーカー・ジュニア
私は精神障害者の当事者です。
精神障害者にとってリカバリーは大変な経験だと思います。極めて個人的な体験で多くの挫折をともないます。
私も支援を受けて翻訳の仕事を続けていますが、ほんのわずかな希望の力が助けてくれます。それがいつか自己実現の喜びにつながります。
希望のない状態から希望のある状態になるのは大変な進歩です。今できること、どんなささいなことでも今できることに一歩でも踏み出すことが大事だと思います。
それでも困惑、無力感に襲われる時があります。私はこういう時じっと耐え、希望のわくのを待ちます。
サービス提供者のサポートもあります。これから精神保健サービスは専門医の理解のもと、この大変なリカバリーという仕事を、精神障害者一人ひとりに適したリカバリーができるようサポートしてほしいと思います。
症状をかかえながら夢をあきらめず、その実現に向かって生きるのは何とすばらしいことではないでしょうか。
専門医は「そんなことは無理だ」というかもしれません。
しかしリカバリーは、単に症状がなくなることではなく個人が社会で有意義に生き生きと生活し、生き生きと毎日を送れ、じわじわと人生に幸福感を持てれば良いと思います。
何か特定の目的を達するためばかりでなく、日頃の人間関係がスムーズにいき、生き苦しい思い、落ち込む時もこの運命を背負った人生を乗り切る。そういう気持ちになることは人間の生きていく上での人間に与えられた大切な本能です。
現在、このリカバリーを体験している人は非常に少ないと思いますが、あきらめないことです。
また、専門医の理解も大切ですが、家族や身近な人が理解するのも大切だと思います。
精神保健サービス分野でもこれはひとつの運動になっていますが、リカバリーは本来、個人の社会的なもので、精神障害者のかかえる様々な問題を社会が受け入れる必要もあると思います。
リカバリーについて、一人でも多くの方が理解してくださることを望みます。
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