【活動のねらい1】希望というエンジン
生きるには、希望が必要だ。もし何かをするとき、どうにもならないとか、やっても無駄だとか感じていたら、何もできないだろう。難しい、あるいは哲学的なことではない。希望とやる気は、セットになっている。これに疾患の有無は関係ない。
精神疾患を持つと、希望を持ちづらい。診断、処方、服薬指導、リハビリテーション、ヘルパーや居住サービスの提供。一昔前に比べると、先人たちの努力もあってかなり充実してきたかもしれない。しかし、ある当事者は言った。「いずれにも、希望が欠けている。」
精神疾患をわずらうとその次は、病気を受容しましょうとか、薬をちゃんと飲みましょうとか、訓練しましょうとか、自立しましょうと言われ続ける。無理をしないでのんびりしていなさいとも言われる。確かにみんな親切で優しい。しかし、薬をちゃんと飲んだり、訓練したりと努力したら、その先にはどんな未来が待っているのだろうか。それを説明してくれる人が誰もいない。
約束できないのは分かっている。必ず治るとか、必ず就職できるとか、そういう約束は難しいだろう。それにしても、ちゃんと頑張ったらどうなるのか、グループホームに入居したらどうなるのか。まったく想像できない。そんな状態では、それに取りかかるのは難しい。それを問題症状と片付けないでほしい。それは人として当たり前なのだから。
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